培ってきたことを、
実験して、実践したバンドが
Smoky Medicineだった(Char)
この『Smoky Medicine 1974 Live - Joy To The World -』のリリースは、ひとつの“事件”だ。レコード・デビューせずに解散してから50年経った今も語り継がれる、日本のロック史上最大の伝説、Smoky Medicineのあまりにも貴重な音源がパッケージ化され、誰もがそれを聴くことができるようになるのだから。
Smoky Medicineの結成は1973年。この年の6月に18歳になるCharは、前年からShockに在籍しており、この年からは並行してBad Sceneにも参加。だが、Shockはメンバー脱退を機に解散し、Bad Sceneもシングル盤を1枚リリースしていたものの、やはり解散。その後、Bad Sceneの鳴瀬喜博(B)、Shockの佐藤準(Key)、藤井章司(Dr)に、Charがたまたまライブを観て感銘を受けていた金子マリ(Vo)を加え、Smoky Medicineは結成された。
この年の夏、長野県の山小屋での合宿で曲作りとリハーサルをした後、本格的に活動を開始。徐々に彼らの評判は高まっていき、翌74年3月には、渋谷PARCO西武劇場での第2回フラッシュ・コンサートに出演。その後、アマチュアながらに『ニューミュージック・マガジン』(現ミュージック・マガジン) に取り上げられ、日本のウッドストック・フェスを目指して8月に福島県郡山市で行われるワンステップフェスティバルへの出演も決まるなど、間違いなく次の日本のロック・シーンを担うバンドとして注目を集めるようになっていった。CharはSmoky Medicineを、「それまでに培ってきたことを、実験して、実践したバンドだった」と語る。そしてそれはまさに、花開く寸前まで来ていた。
しかし、こうした好状況の一方で、メンバー間での音楽的な方向性の違いが次第に表面化するようになっていく。その結果、彼らは解散という苦渋の選択をすることになった。そして、7月20日に名古屋市公会堂で、上田正樹&サウス・トゥ・サウスとともにジョー山中の前座を務めたライブをもって、Smoky Medicineは終焉を迎える。
本作のCD1に収められた74年5月3日の渋谷ジァン・ジァン公演。これを聴けば、この時点で彼らがどれほどまでのバンドになっていたか、またその可能性がどれほど大きかったかが如実に分かる。才気溢れるオリジナル楽曲に加えて、第2期ジェフ・ベック・グループのナンバーや、彼らを象徴することになったスリー・ドッグ・ナイトのカバー、「Joy To The World」など、50年前の日本にこんな、しかもアマチュアのバンドがいたとは、にわかには信じがたいほどだ。
CD2に収められたのは、解散が決まっていた彼らの東京での最後のライブとなった、74年7月17日の池袋シアターグリーン公演。その演奏には粗い部分もあるが、歴史に残るライブ名盤が、アーティストの心の叫びをどういう形であれ記録したものであったのと同じように、ここにも演奏面の出来・不出来などは超越した、魂の奥底から湧き上がってくる巨大なまマグマのようなものが感じられる。そしてこれは、70年代の日本のロック史を紐解くうえでの、最高にして最良の資料でもある。
このCD2には、エレックレコードのスタジオで録られたデモ音源もボーナス・トラックとして収録されている。74年5月、スタジオが空いた深夜に行われたものだが、どういう目的だったかは不明だ(正式レコーディングのためのデモだったかもしれないし、何かのラジオ番組でのオンエア用だったかもしれないという)。いずれにしてもここには、Charがメイン・ボーカルを務めたオリジナル曲「Song For My Life」をはじめとする、Smoky Medicineという若くて才能に満ち溢れたバンドの、ほぼ完成形と言ってもいい姿が収められている。「貴重」という言葉を超えた、まさに「宝物」と言いたくなる音源だ。DVD / Blu-rayには、2023年5月13日の、日比谷野外音楽堂でのSmoky Medicine再結成ライブの映像が収録された。日比谷野音100周年を祝うと同時に、同年に亡くなったジェフ・ベック、09年に亡くなった藤井章司(Dr)に対する思いを届ける内容にもなっている。
この日、50年ぶりに野音のステージに立ったSmoky Medicine。どれだけ年月を経ようと、決して変わらないものがあり、変わってはいけないものがある。それを人は「永遠」と呼ぶのかもしれない。公式デビューすることがなかったこの永遠のアマチュア・バンドが、そんなことを教えてくれているように思える。
この作品のリリースは、間違いなく「奇跡」だ。